手が語る、
舟大工の系譜
工房の朝は、鉋(かんな)を研ぐ音から始まる。三代目の舟大工として生まれ育った私にとって、それは物心つく前から耳に馴染んだ音だった。
祖父は戦後まもない頃、この土地で和船をつくり始めた。漁師たちが海に出るための、まさに命を預ける道具としての舟だった。祖父の仕事場には、今も色の変わった図面や、木目を読むためだけに使われた小さな鉋が残っている。祖父はよく「木は生きている。切ってからも呼吸をしている」と言っていたそうだ。私はその言葉を、父から又聞きする形でしか知らない。祖父が亡くなったのは、私が生まれる五年前のことだった。
父はその技術を、言葉ではなくほとんど手から手へと受け取った。継手(つぎて)の角度、木の癖を見極める目、そして何より、急がないという姿勢。和船づくりにおいて最も重要なのは、実は速さではなく「待つこと」なのだと父は言う。木を組む前に、木がどう動きたがっているかを何日も観察する。反りを読み、乾燥の具合を確かめ、季節が変わるのを待ってから鑿(のみ)を入れることもある。効率だけを考えれば、とても成立しない仕事だ。それでも、この待つ時間こそが、何十年も海の上で使われる舟の強さをつくっていたのだと、今ならわかる。
木は、切られた後も海の記憶を覚えている。舟大工の仕事とは、その記憶を裏切らないことだ。
私が工房に入った頃、和船そのものへの需要はすでに減っていた。漁の方法は変わり、船体はFRPや金属に置き換わりつつあった。父の世代までの技術が、そのまま行き場を失うのではないかという不安が、正直なところ常にあった。転機になったのは、Keel Lab Blend との出会いだった。舟の骨組みに使われていた継手の技法を、家具の脚部や椅子の背もたれの構造に応用できないかという相談を受けたとき、最初は戸惑った。舟と椅子では、求められる強度も、美しさの基準もまったく違う。それでも、木を読み、待ち、組むという核の部分は驚くほど共通していた。
最初に持ち込んだ試作品は、椅子の脚を舟の肋骨(フレーム)のように組んだものだった。単なる意匠の模倣ではなく、力の流れを分散させる構造そのものを転用した結果、驚くほど華奢でありながら頑丈な脚ができあがった。デザインチームと図面を突き合わせるうちに、私は自分の手の中にある技術が、思っていたよりずっと自由に応用できるものだと気づき始めた。
